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熊座の淡き星影 (イタリア・1965年) [陶酔させられた映画]

 監督は、ルキノ・ヴィスコンティ。
 原案と脚本も、他の2人と共に、ヴィスコンティの名前がある。
 音楽はセザール・フランクの『前奏曲コラールとフーガ』
 主演はクラウディア・カルディナーレと、ジャン・ソレル。
 姉のサンドラ役をクラウディア・カルディナーレ、弟のジャンニ役をジャン・ソレル。この2人が最高に素晴らしいのである。
 タイトルの『熊座の淡き星影』は、ジャコモ・レオパルディの詩『回想』の一節にあり、弟のジャンニが、暗唱している一部を姉と2人きりの告白シーンの時に口にする。

 ──熊座の淡き星影よ
 ──ふたたび会えるとは思わなかった
 ──昔と同様 輝くおまえたちに
 ──幼いころに暮らした館の窓辺でおまえたちを見て
 ──私は喜びの終焉を知る

 この映画は、姉と弟の近親愛がテーマである。肉親愛ではなく、近親愛。姉と弟の、尋常ではない愛、美しくもリアルに詩的に情感豊かに、男と女の愛と情念を、人間の情念を描いたヴィスコンティの世界である。私にとっては、大好きなヴィスコンティの素晴らしい感性がふつふつと感じられる作品だった。
 音楽も、陶酔させられそうなほど素晴らしい。甘い哀しみ、甘いせつなさ、甘い激情、それらに酔わされるようなピアノの美しいメロディが、随所に流れる。
 ファーストシーンも、もちろん素晴らしい。クレジットが流れるバックも、とても素敵である。ファーストシーンとオープニングのクレジットが流れるバックに、監督のセンスと感性が感じられるような気がする。
 クラウディア・カルディナーレが演じるサンドラは、アメリカ人の夫と一緒に、帰郷する。故郷のボルテーラにある実家は、いくつもの館を持つ名家。病院から戻った母は狂気を漂わせてピアノを弾く。2年前から帰って来ている弟との再会。姉のサンドラと弟のジャンニに過去の愛がよみがえり……。
 夫の嫉妬と疑惑が……。
 サンドラの子供時代の回想。父が亡くなり、母が再婚し、憎悪の対象となった義父の存在。
 サンドラが夫に告白するシーン。
 弟ジャンニの手紙の中の、従順な奴隷、という言葉。
 夫が出かけた後、弟に会いに行くサンドラ。
 ジャンニは、書いた小説を姉に読ませる。その内容は、近親愛、姉への想い、そして抱擁シーン。

 ──私の欲望は……
 ──姉にのしかかり……
 ──むさぼるように……

 姉の足元で読むジャンニ。編集者にすでに読ませ、出版するという弟に、サンドラは激しく反対する。
「この小説は心の記録さ」
 ジャンニはそう呟く。
 姉の結婚の話を聞いた時の気持ちを告白する。

 ──瞬間、過去がよみがえった
 ──ぼくらの静寂、会話、ぼくの苦悩、不安な気持ちの原因
 ──崖までの散歩道、眠れぬ夜、そして何より―
 ──2人でいる幸福感
 ──情熱という言葉も知らない幼いころからあった感情
 ──ぼくを理解し、救えるのは姉さんだけだ
 姉の欲望、渇望を見透かすような弟のセリフに、サンドラはいたたまれなくなり……。
 ピアノの甘く美しいメロディが流れ……。
 夫は先にアメリカへ帰り、愛するサンドラを待っていると手紙を残す。
 亡父の遺産の館の庭園を市に寄贈し、亡父の胸像の除幕式の日──。
 弟ジャンニは、自室で、死にたくないと連呼しながら、自ら生命を絶ってしまう。姉の名を呼びながら……。
 音楽のメロディが高まっていき、知人の青年医師によって、ジャンニの自殺が発見され……。
 この映画は何度観ても陶酔させられる映画の1本である。

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汚名 (アメリカ・1946年) [陶酔させられた映画]

 主演は、イングリッド・バーグマンと、ケーリー・グラント。
 監督は、アルフレッド・ヒッチコック。
 この映画は何度、観ても、また観たくなる映画の一本である。
 ヒッチコックの映画で一番好きなのは、この映画。
 ケーリー・グラントが出演した映画で一番好きなのは、この映画。
 そして、イングリッド・バーグマンが出演した映画で、一番好きなのは、この映画である。イングリッド・バーグマンは好きな女優なので、何度も観たくなる映画は、他にもたくさんある。一度観ただけ、という映画は、一本もないかもしれない。
 この映画『汚名』は、イングリッド・バーグマンという女優の、というより、女性の、魅力があふれんばかりに、全編に感じとれるような気がする。また、大人の男女の恋の素晴らしさを、感じさせられる。
 ヒッチコックの他の映画で、ラブ・ロマンスが少しでも出てくる映画はあるけれど、この『汚名』が最も濃密に描かれているような気がする。イングリッド・バーグマンが演じるアリシアと、ケーリー・グラントが演じるデブリンの恋。互いの愛を伝えきれない恋人同士の心情、嫉妬、自己欺瞞、偽りの心、そして思いがけない結末。
 ヒッチコック独特の、ハラハラドキドキさせられるような心理サスペンスのムードも、たっぷりと楽しめる。
 パーティーがお開きになって2人きりになり、ケーリー・グラントが演じるデブリンが飲み残した酒のグラスに、イングリッド・バーグマンが演じるアリシアは喋りながら無意識に口をつけるシーンに、恋の暗示がすでに感じられる。女性は、他人が飲み残した酒のグラスに口をつけるなんて、まず、できない。愛する男性のグラスなら、むしろ喜んで、それができる。
 アリシアが酔いながらドライブするシーン。 
 酒酔い運転の彼女を、ハラハラしながら見守るデブリン。
「私と恋に落ちそうで怖いのね」
 と、生意気な女のアリシア。
「ぼくをからかう気か」
「いいえ、楽しんでるの。清純な心を持つ娘みたいな気になって」
 彼の心理分析してみせて、一方的に喋る彼女の言葉を遮るように、彼が情熱的なキスをするシーン。
 ブラジルの目的地のホテルに着き、立ったまま、言葉を交わしながらのキス・シーン。
「あなたは愛してないわ」
「愛してるとも」
「口に出さないわ」
「行動で示してる」
 と、キス・シーン。
 ケーリー・グラントが演じるデブリンの嫉妬。男性独特の抑え難い嫉妬の眼と表情と、投げやりに煙草を吸うしぐさ──。
 競馬場で偶然会ったふりして情報を伝えるシーン。抑えようとしても抑えられない恋、アリシアの涙。
 ワイン貯蔵室で、夫に目撃されそうになって、スパイ行為カムフラージュのため、わざとキスを見せつけるシーン。彼の腕の中、愛する男の匂い、気が遠くなりそうなディープ・キス。いったん唇を離したアリシアが、せつなく悶えながら愛の歓喜に酔いしれるように「オー、デブリン、デブリン」と無我夢中で口走るこのシーンが、私は好きで好きでたまらない。
 毒を盛られて衰弱した彼女を、デブリンが腕の中に抱き締めるシーン。
「好きなら、何故、黙ってたの?」
「自分に素直じゃなかった。考え過ぎて苦しみ、きみを失ったんだ」
「私を愛してるのね」
「初めて会った時からだ」
「もう一度言って」
「愛してる」
 こんな甘いシーンでも、ケーリー・グラントは抑え気味の表情がとてもいい。観ていて、焦(じ)れったくなるほど、バーグマンが演じるアリシアを本当は愛している、という想いが、随所で伝わってくる。
 それに対して、アリシアを演じるイングリッド・バーグマンは、本当にデブリンを、というより、ケーリー・グラントを愛しているのではと思いたくなるほど、恋する女の心情、表情、声やしぐさやまなざしなどの表現が、リアルというより、全身全霊、恋に身を焦がす女そのもののように私には感じられる。

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ガス燈 (アメリカ・1944年) [陶酔させられた映画]

 主演はイングリッド・バーグマンとシャルル・ボワイエ。監督はジョージ・キューカー。 原作は戯曲。
 オーソドックスな心理サスペンスであり、とても美しいサスペンス映画、と私の定義では言いたくなる。私が美しい映画と感じるのはフランス映画が多いが、この『ガス燈』は何度観ても陶酔させられるほど美しい映画、と感じられる。モノクロ独特の美しさもあるような気がする。主演のシャルル・ボワイエとイングリッド・バーグマンも美しいし、19世紀の霧のロンドンも美しい。タイトルも、ストーリーも、ファーストシーンも美しい。
 いい映画は決まってファーストシーンが素晴らしいし、ファーストシーンを観ればいい映画か駄作かわかる、と言いたくなるくらい私はこだわるのだけれど、『ガス燈』のファーストシーンから、すでにこの映画に酔わされる心地になる。
 私がイングリッド・バーグマンを好きになったきっかけの映画である。それまでも、好きな女優だったが、この『ガス燈』で、自分の精神が異常で病気なのではないかと怯(おび)える人妻役を観て、何て素晴らしい女優、と心から感動した。特に私が好きなのは、バーグマンの表情の豊かさ、表現力の豊かさ、才能を感じさせられる演技力と言えるかもしれない。
 夫の作曲家の役のシャルル・ボワイエも、他のどの映画に出演した時より好き。単なる悪役ではなく、冷たく、残酷で、宝石の神秘と華麗さに魅了されてしまった美しい男をリアルに素晴らしく演じていると思う。
 探偵役のジョゼフ・コットンなど脇役のキャストたちもいいし、ストーリーも実に面白い。霧におおわれた、古いロンドンの夜の光景も美しい。
 何度観ても、また観たくなるに違いないと思い、飽きもせず繰り返し観る映画の中の一本である。
 事件が解決して、ポーラを演じるバーグマンが呟くように言う。
「長い夜ね……」
 すると、探偵役のジョゼフ・コットンが答える。
「でも、朝は来る。朝日が闇夜の記憶を消し去ることもある」
 そんな会話のやり取りもいい。他にも素晴らしい会話があふれている。
 私の持っているDVDには、1940年イギリス制作の『ガス燈』も収録されている。舞台版の後の、映画ではこちらがオリジナルということになる。約20分の特典映像のドキュメンタリーも興味深い。
 1940年イギリス映画の『ガス燈』は、ダイアナ・ウィンヤードという女優がとても気品のある、おっとりした美人で、ポーラの役も合うと思うけれど、やはりイングリッド・バーグマンのほうが素晴らしいと私は思う。
 それに、イギリス映画のほうは、夫のキャラクターが最初から最後まで、やや俗っぽい悪役という感じが、私にはもの足りない。アメリカ映画のシャルル・ボワイエはポーラを愛している、と思わされながら観ていたら、実は彼には目的があって、妻との結婚を利用しただけ、ということになり……。けれど、私には、シャルル・ボワイエが演じる夫は宝石に取り憑(つ)かれなければポーラを本当は愛していたと、そう思えてきて、事件が解決してポーラと別れるシーンが何度観ても印象深い。
 そしてバーグマンが演じるポーラも、真実を知ってみれば、とても残酷な運命だったのだけれど、夫を心から愛していたし、別れぎわも、まだ愛していたかもしれないと、そんなふうにも思えてくる。心理サスペンスの雰囲気が濃厚だけれど、男女の愛も描かれていることに、いっそう私は酔わされる。

白い恐怖 (アメリカ・1945年) [陶酔させられた映画]

 監督は、ヒッチコック。主演はイングリッド・バーグマンと、グレゴリー・ペック。
 この映画で、イングリッド・バーグマンが演じるのは女医、精神科の医師である。もう、それだけでワクワクさせられる。美貌より知性を強調させるように最初はメガネをかけている。そして、女医らしく患者を治療する。と言っても、精神科だから、患者にさまざまな質問をしたり、カルテに書き込んだりするシーンである。
 そのバーグマンが演じる女医のコンスタンスが勤務する病院に、新任となってやって来た、グレゴリー・ペックが演じる院長バランタインは、ある原因から記憶を喪失していて、日常生活で、白地に縞模様を見たとたん、パニック症状を起こすという謎を秘めている。
 やがて、彼は殺人事件の容疑者となり……。
 女医のコンスタンスは、恋人バランタインの精神分析医となって、彼の夢の謎を解いていき、真犯人を探し出す――。
 心理サスペンスだけれど、精神分析、夢の分析がテーマとなっている映画、と言っていいと思う。
 メガネをかけた堅物女医のバーグマンが、恋をして魅力的な女へ変貌していくのが何といっても素敵である。バランタインと初めて出会ったその夜、彼女はベッドで悶々とした後、図書室へ行き、バランタインの著書を手にして、彼の部屋を訪れる。
「研究の話を聞きたいなんて口実ですわ。本当は私……」
 と、彼女は告白する。恋しい男性に会いたくて口実を使う。何て、いじらしい女心だろう。
「自分で自分に驚いてるの。冷静な人間のはずなのに。何故、来たのかしら」
「ぼくにはわかる」
 グレゴリー・ペックが独特の魅力的なまなざしで彼女を見つめる。
「何故?」
「恋に落ちたから」
「たった一日で?」
「いや、一瞬だ」
 次の瞬間、コンスタンスはバランタインに激しく抱き締められ……。
「医者として来たのよ、恋のためじゃない」
 繰り返し、言い訳を口にしながら、彼の腕に深く抱き締められ、せつなく悶える。そんなふうに身も心も熱く悶えるバーグマンの演技って最高!! この上なく素晴らしいと思う。
 イングリッド・バーグマンほど表情の豊かな女優はいないのではないかと私は思う。その豊かな表情、豊かな表現力、豊かな演技力に、彼女が出演したほとんどの映画を観て私は魅了される。
 グレゴリー・ペックは、その眼とまなざしが最高に素敵で、独特の雰囲気も大好きである。
 ところで、最近、私はちょっと情緒不安定気味かも……。晩秋から冬に向かう、季節の変わり目のせいかもしれない。何となく心寂しいような、心細いような、もの悲しいような、気分が沈みそうな、絶えず不安と孤独感に包まれるような、もう何もかも、すべてを投げ出してしまいたくなるような――。
 そんな時、好きな映画を観ると、精神が、心が、落ち着く。この映画『白い恐怖』を観て、陶酔させられた心地のまま、眠りにつくのが一番いいとわかっている。ベッドに入り、スタンドの灯を消して、目を閉じる。睡魔に襲われる前に、観たばかりの映画のファーストシーンから思い浮かべていく。シナリオを読むように登場人物たちの会話のやり取りも思い出しながら、ストーリーが展開していき、ラストシーンまで思い浮かべられないうちに、たいてい眠ってしまうのだけれど――。

危険な関係 (フランス・1960年) [陶酔させられた映画]

  監督は、ロジェ・ヴァディム。原作は、ラクロのただ一冊の恋愛文学『危険な関係』、手紙形式の小説である。36歳で病死したジェラール・フィリップの遺作となった映画。1988年と2003年にリメイクされている。小説では南フランスが背景で、18世紀の貴族社会が描かれているが、映画では現代のパリ。
 ジェラール・フィリップが演じる外交官ヴァルモンと、ジャンヌ・モローが演じる妻ジュリエットは、愛し合っているが、それぞれ愛人を作っては楽しみ、互いの情事をすべて打ち明け合い、許し合うという夫婦である。
 ところが……。夫のヴァルモンが、いつもの火遊びと違って、真剣に人妻を愛してしまったことで、妻のジュリエットは激しく嫉妬し、夫を憎み、蔑み、嘲笑い、そして別れさせる、というストーリー。
 この映画のファーストシーンは、ちょっと洒落(しゃれ)ている。
 ――作中人物の多くはきわめて不倫であり、彼らが我々の世紀の人間だとは考えがたいほどである。世間の男はみな誠実であり、女は貞淑であるのに… ――
 ラクロの文章だけれど、これは一種の皮肉だと思う。
 テーマ音楽は、この時代のフランス映画らしいモダンジャズ。倦怠というか退廃というか、そんな言葉を思い浮かべたくなる。
 若いジャン・ルイ・トランティニヤンが、ラストで嫉妬と憎悪からヴァルモンを殴り殺してしまう(過失致死で無罪となる。)純真無垢な学生を演じているのが新鮮な感じ。
 ラスト近くの、夫婦のやり取りが、とてもいい。
「君の保養の季節は、もう終わり?」
 いつものように余裕のある表情で、夫のヴァルモンが、妻に聞く。
「まだよ。別れ方を思案中。そこが情事の魅力だもの」
 ジュリエット役のジャンヌ・モローが、さりげない表情で答える。
 ところで、最近の映画ではほとんど見られない喫煙シーンだが、ジェラール・フィリップの煙草の吸い方がこの上なくセクシーであり、ジャンヌ・モローのそのしぐさはとても魅力的である。
 不倫相手と電話中の妻の背後から、夫のヴァルモンが抱き締め、彼女の身体を愛撫し、キス攻めにするシーンは素晴らしく印象的。
 妻のジュリエットは不倫相手の男を、夫の前で嘲笑う。「高級官僚夫人からフランス流の恋の手管(てくだ)を学んでね」と。こんなセリフは、まさにジャンヌ・モローのために書かれたようなセリフと思いたくなる。
 夫ヴァルモンは妻と対照的な貞淑な人妻と知り合い、真剣な恋に落ちてしまうが、それを手紙で妻ジュリエットに報告する。
 いつもと違って、夫が本気で彼女を愛してしまったと直感したジュリエットは、激しく憤り、嫉妬する。
 ジェラール・フィリップの、恋する人妻を見るまなざしが、たまらなく素敵である。
 貞淑な人妻マリアンヌの客室を訪れたヴァルモンを、「出て行って! 出て行って!」と、彼女は繰り返し冷たく言い放つ。
「愛してる、ぼくにそう言わせるのはあなただ。二人の友情を守っていたかったが、愛に変わった。あなたのせいだ。望みは一つ。時々、会えるだけでいい」
 自分でも思いがけなく、ヴァルモンはそんな愛の言葉を口にする。
 やがて――。ヴァルモンと貞淑な人妻は、身も心も結ばれてしまい……。
 クライマックスのシーン。妻のジュリエットは、いつものようにあっさり別れようとしない夫に苛立ち、夫の名前で、人妻に別れの電報を打つ。それを聞いているヴァルモンの耐え難そうな表情。
 電報が人妻に到着した時刻――。ヴァルモンが口を開(ひら)き、
「終わった」
 と、一言。
「苦しい?」
「関係ない」
「虚勢ね。あなたは彼女を愛している。私の手前、別れただけね」
 そこへ妻に電話。夫は、まるで復讐のように嫉妬する。
「ダンスニ?」
「そうよ、彼は清潔で純情よ! 女を泣かせる男じゃないわ!」
「彼に手を出すな! 彼と会うな!」
 いつになく男の嫉妬をあらわにするヴァルモン。
 ジュリエットは冷ややかに夫を見つめ、あなた、野暮になったのね、と嘲笑する。
 ものわかりのいい洗練された夫と、ものわかりのいい洗練された妻を演じ合い、互いの不倫を、嫉妬することなく許し合い、愛し合っているはずの夫婦が、初めて真実の心を、愛と憎しみをさらけ出して、冷えきった空気が流れるこのシーンは印象的。感情的な会話のやり取りはなく、キャストの表情、しぐさ、雰囲気、それらの映像で表現する、いかにもフランス映画らしい――と、感じさせられる。  
 ジャンヌ・モローの冷たい美しさ。独特の嘲笑、冷笑、抑え難い嫉妬、噴きあがる感情。そんな表情が、言葉で言い尽くせないほど魅力的である。ジェラール・フィリップもまた、他のどの映画より表情が豊かだと感じられる。この映画が遺作になるとは思わなかったはずだし、彼の俳優人生で最も成熟した演技と言えるのかもしれない。
 1時間45分とは思えない濃密な恋愛心理ドラマの映画に酔わされ、今夜もようやく満たされた心地で眠れそう――。

悪魔のようなあなた (フランス・1967年) [陶酔させられた映画]

 監督はジュリアン・デュヴィヴィエ。
 原作はルイ・C・トーマ。
 主演はアラン・ドロン。
 20代のアラン・ドロンが出演している映画が好きである。絶世の美青年という言葉は彼のためにあるのではないかと思うほど端正な顔立ちとスタイルには、ため息が出るほどだ。この映画の撮影時、アラン・ドロンは32歳。20代の若さは去って、大人の男へと変貌していく時期のような年齢だが美青年には変わりない。
 ファースト・シーンは自動車事故だが、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督はこの映画撮影後、パリで自動車事故にあい急死したため、遺作となったということである。
 セリフもストーリー展開もテーマ音楽も、そして結末もまた、いかにもフランス映画らしいフランス映画、しかもフランスふう洒落たミステリー映画という感じ。
 自動車事故で記憶を失った青年を演じるアラン・ドロンは、妻と名乗るクリスチアヌに、豪華な邸宅に連れて行かれる。
 クリスチアヌは美しく、セクシーで、大人の女の魅力がたっぷりと漂っている。けれど、女の弱い一面も見せるのが、リアリティがあって、そこがまた素敵である。彼女がアラン・ドロンに、美しいフランス語で「ジョルジュ」と呼びかける時や、妖しく迫って「モン・シェリ(私の愛しい人)」と発音する声と口調が、この上なく魅惑的。
 アラン・ドロンが演じるジョルジュはクリスチアヌを抱きたくてたまらない。けれど、病気が治るまではと彼女の巧みで甘い拒絶にあうばかり。
 やがて、ジョルジュは次第に、疑惑が胸に生じてくる。妻が自分を殺そうとしている。命を狙われていると気づき、その邸を抜け出そうとする。記憶喪失が治りかけ、自分の真実の名前もよみがえってくる。
 毎夜、同じような夢に心を乱され、夢遊病者のように自殺をしかけて拳銃を取り出したり……。ふたたび殺意が彼の身にしのび寄り……。
 ある日、邸内で、犬が掘った地面から死体の腕が現れたのを見て、自分への企みと殺意を知ったジョルジュは強引に妻と名乗るクリスチアヌを抱く。
 セックスを拒み続けたクリスチアヌは、荒々しく彼に組み敷かれ、濃密で甘美な夜を過ごす。
 結末はどんでん返しのさらにどんでん返し。フランス映画らしい洒落たミステリー独特の素晴らしいラストシーン。
 何度観ても、すべてを忘れて陶酔させられるような映画、美味なカクテルに酔わされたような気分でベッドに入り、心地良い眠りへと引き込まれてしまいそうな映画である。

死刑台のエレベーター (フランス・1957年) [陶酔させられた映画]

 監督は、ルイ・マル。
 原作は、ノエル・カレフ。
 脚色は、ルイ・マルと、ロジェ・ニミエ。
 音楽は、マイルス・デイヴィス。
 主演は、モリス・ロネと、ジャンヌ・モロー。
 原作の小説も面白い心理サスペンスである。
 この映画を、何度、観たことだろう。何度観ても感動するし、酔わされる映画である。 
 ファーストシーンの素晴らしさ。ジャンヌ・モローが演じる人妻が、電話でモリス・ロネが演じる愛人に、愛の言葉を告げながら、殺人の話をする。
 もう、このシーンを観ただけで、この映画に陶酔させられる予感がする。
 マイルス・デイヴィスのトランペットの、甘く官能的なメロディ。
 モリス・ロネの無表情の素敵なこと。
 愛人への想いも欲望も秘めたようなジャンヌ・モローの冷たい美しさ。
 ジャンヌ・モローが演じる人妻が、パリの夜の街じゅう、愛しい男を捜して彷徨(さまよ)うシーンの、胸の奥がきゅうっとなるような情景描写が特にたまらない。
 随所に流れるテーマ音楽の、マイルス・デイヴィスの即興演奏に、官能的な気分を煽(あお)り立てられるような心地がする。
 愛し合う男女のベッドシーンは一度も出てこないのに、恋と欲望に溺れる男と女の感情がなまなましく伝わってきて、甘くせつないような気分に包まれる。
 ラストシーンの、愛人同士の幸福そうな抱擁の写真。恋も、愛する男も、消え去ってしまったことを知るジャンヌ・モローの絶望的な呟き。
 この映画が、25歳のルイ・マルのデビュー作だなんて、驚愕させられる。ルイ・マル監督の才能とセンスと感性の素晴らしさが感じられる映画だと思う。 
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